2024年5月4日(土)
晴れ 東~南東風
若潮 満潮16:25 干潮10:32
8:00出港 15:00帰港
ティラジャー
娘が小さいころから、良く海に連れて行った。
多分一番始めは、夫がまだ別の仕事をしていたころ、
小さな中古船を買って、それを初めて海におろす時に家族3人で乗ったとき。
それはちょっとした進水式みたいな感じだった。
とってもいい天気で、水面の照り返しがきつくて、
まだ赤ちゃんの娘は抱っこひもでまぶしそうにシパシパしていたが、
そのうちすやすやと眠っていった。
私はこんな小さい船に乗るのは初めてだったので、
万が一沈んだら大変だ、と心配して、
娘を浮かせるためのベビーバスと、自分は泳ぐためにマスクやらフィンやら準備していたが、
もちろん沈むことなんてなくて、
一人で素潜り漁をしている夫をうらやましく眺めながら、
眠っている娘が日焼けしすぎないように影を作りつつ、
暑い中、夫が気が済んで戻ってくるのをただただ待っていた。
娘が成長して、2~3歳頃になると、
港に釣りをしに行ったりした。
始めは夫が釣ってみせるのだが、すぐに娘は自分でやりたがって、
エサをつけたおもちゃのような竿を持たせて、
ベラやスズメダイやツノダシなどを釣っては(もちろん夫が支えている)
おっかなびっくりさわってみたり、バケツの中で泳ぐのを眺めたりしていた。
夫も娘もとても楽しんでいるのだが、
ただでさえ歩きのおぼつかない子どもが、釣りや魚に夢中になって足を踏み外して海に落ちるのが怖くて、
私はもっぱら監視役だった。
始めは万が一のために娘には子供用にライフジャケットを着せていたのだが、
娘は、自分だけこんな動きにくいものを着るのを嫌がるし、
何とか言い聞かせても、暑くて顔が真っ赤になって熱中症も心配になり、
結局ライフジャケットは脱いで身軽に涼しくさせ、
私は監視に専念する、ということになっていた。
終わってから、釣りあげた小さな小さな魚たちをちょこちょことさばき、
持って帰って素揚げにすると、娘は大喜びで食べていた。
一時期、海人草(カイジンソウ)という海草を頼まれて採っていた。
その時は良く娘を連れて、二人で浜に行った。
娘にはライフジャケットをつけて、私の腰にくくったロープをつなぎ、
腰くらいまでの深さの場所に群生している海人草を採る。
浅いのでフィンは必要なく、私はマスクだけをつけて水中を見ながら海草を採る。
このころには娘にマスク・スノーケルの使い方を教えて、
彼女もうまいこと使えるようになっていた。
ライフジャケットのままでは潜れないので、彼女は脱ぎたがって怒ってくるので、
仕方なく漁の手をとめて、ライフジャケットを脱がせて、
私は、自由に泳いだり素潜りしたりする彼女を見守る。
そのうち、私の見よう見まねで、潜っては海人草を採って見せたりするようになった。
小学生の高学年くらいからだったか、
船での釣りを体験させようと、グルクン釣りでデビューをした。
私は極度の船酔いもちなので、この体質が遺伝しないわけはなく(※個人の考えです)、
あの苦しみを味わわせるのは忍びなくて、
風のない穏やかな日を選び、港から20分くらいの、岸もすぐ近くの釣り場へ出かけた。
もちろん、事前に子供用の船酔い止めを飲ませた。
サビキのグルクンセットにアミをぎゅうぎゅう入れて釣るのだが、
針が6本ついているので、
うまく群れにあたると何匹も一斉にかかる「こいのぼり」状態になる。
始めは1匹、続いて2匹、4匹、
たまにキツネウオがかかったりして、
大漁とは言えないまでも、1~2時間楽しむのに十分に釣れた。
不思議なことに、釣れ始めれば、船酔いはたいてい回復するが、
彼女も、結局「船酔い」が何なのかよくわからなかったらしい。
ただ、帰港後は、眠くてたまらない、と言っていたので、
酔い止め薬はしっかり効いていたようだった。
娘は今も海が好きみたいで、
釣りも行くし、良く泳ぐし、
漁の手伝いでスミイカの追い込みをさせても、なかなか上手だ。
素潜り漁師の両親を持ち、
海で遊び、刺身も煮つけも大好き。
宮古島の海をこれほどまでに満喫している高校生がいるだろうか。
まったく…
うらやましい。